明け方ごろの読書日記

ほぼ読んだ本の備忘録にしています。たまに映画や身辺雑記的ことも書いています。2014年2月から3月までの記事は、2009年頃から2014年3月までに読んだ本を時系列無視で一気にアップしたものです。

『ユートピア的資本主義―市場思想から見た近代 』ピエール・ロザンヴァ著

ユートピア的資本主義―市場思想から見た近代

ユートピア的資本主義―市場思想から見た近代

私的読書メモ

 著者はこの本で「市場」は市民社会に構造を与えるだけでは無く、市民社会発展の手段、目的となっていたからという前提に立って、「市場」をキーコンセプトとしてヨーロッパ近代の動きを描写していく。
 ここで著者の言う「市場」とは経済学的な概念である「市場」ではなく、社会学、哲学的な意味における「市場」であり、自由主義の精神史を照らし出すものとしての「市場」ある。

 一部ではアダム・スミスを中心に社会の組織化の原理としての市場思想の発生過程を描き、二部では主に19世紀における市場思想の普及に関する研究に当てられている。

 人間の情念に反してでは無く、人間の情念に基づいて、社会の成立と機能作用を考えるべきだという思想が17世紀以後明確になる。

社会契約も市場も全く同じ問いうに対する答えがただ形を変えたものに過ぎないp38

17世紀の答えとしてホッブスリヴァイアサン』の政治的回答
          アダム・スミス『諸国民の富』の経済的回答
 諸々の社会契約説が完全に満足の行く形では解決できなかった問題に対する、総体的な答えとして

 18世紀末に登場する「市場」という概念の提出。
これによって、社会成立の問題から社会調節の問題へと政治哲学の問題提起をずらしてしまう。
 そして、18世紀中頃、政治哲学はもう確固たる目標を提供しなくなった。それに対し、経済と政治の関係を完全に逆転させた重農主義者達は「人が統治されるものはモノによってである」と主張し、政治的概念を徹底的に取り除いた。

 スコットランド啓蒙主義者のロバートソン、ミラーたち
 
 彼らはマルクス以前に、市民社会の構造は経済学に置いて探求すべきと考えていた。
 自然状態における人間でさえ、すでに「経済的人間」と化したものとして捉えることで、同時に自然状態と市民社会の懸隔
を廃止してしまう。彼らはもう、仮説としての自然状態という概念を必要としない。
 彼らは社会成立の問題と社会調節の問題を統一的に捉えることによって、自然状態と市民状態の間を情念体系がいつも行き来することから生まれるあらゆる理論的難題を回避するのである。こうした情念管理の方法が17,18世紀を特徴付けるものであった。

 政治の消滅は、社会分化やその結果として現れるものを否定し、そうして、社会を媒介的ないかなる社会構造によっても妨害されない、細分化された利益からなる流動的な市場にきせしめることを意味するからである。
 
 アダム・スミスの実際に貢献した点と、独創的だった所
    経済学者としてみると貢献は小さく見える
   ・労働価値説や分業論を最初に考案したわけではない
   ・最初の自由貿易論者ではない
   ・経済と道徳の分離も新しくはない

   <つまり、同時代になされた先行研究の集大成を行った>
 
    独創的だった所
   ・経済の領域において哲学や政治を実現した。徹底して、経済的生活と道徳哲学の一致を哲学的に思考することによって社会を経済的なものにまで拡大した。
   ・社会的調和の実現が出来る唯一の空間としての経済的社会に、社会全体を到達させようとするものだ。スミスにとって経済は、政治や社会調節の問題を少なくとも本質的には、経済そのものの中で解決するものである。
   ・「人間社会は、その規則的で調和の取れた動きが無数の快適な効果を生み出す偉大で巨大な機械のようのものだ」

 『道徳感情論』市民社会を市場として理解することによって、スミスは世界に革命をもたらした。

それでは市場としての市民社会とは?

 ロックにとって重要な問題は、自然状態を抜け出した人間がどのようにして自らの自然権の実現だけに基づいて社会を形成しうるかを理解することであり、ホッブズもロックの役割も政治を非宗教的に考え、自然状態と市民社会を対立させることによって、政治は自立し、宗教から開放される。

市民社会はなぜ必要か?
ホッブス自然状態における戦争状態からの脱却
ロック所有権の保護
ルソー権益を制度化するよりも、むしろ未来を建設することなのである
市民社会の本質的な意味はカントによると
自然状態⇔市民社会
ではなく
自然⇔市民社会
である
野放しの自由放任主義は次善とし、真の市場社会建設に積極的に取り組む政府をスミスは望んでおり、寄生体としての国家は否定した。

経済の脱領土化とは?

重商主義の伝統→領土は権力手段であり、富の尺度だったため、経済的空間と政治的領土の一致。領土観念と空間観念の極めて重要な概念上の分離を行う。スミスは植民地経営に対して批判的だった。

古典的な政治算術とは?

 法、政治、軍事、経済的空間の一致。君主制の企て全てが、こうした図式の中にあり、現実的なただ一つの空間を構築することが目的だった。
 古典的な政治算術とは対比的に自由主義経済は、バラバラにそれぞれ分離することによって、単一性を絶ち切る。

 ここまでで、「市場」という概念が近代政治哲学の中で、どのように形成されて、新しい世界観、社会観を生み出したかを著者は指摘している。

国民国家と市場

 国家と市場の一致は、歴史的地理的に極めて特殊であり、この一致はヨーロッパ的特殊性である。この2つの相互関係の中に近代性そのものを読み取れることができるのであれば、国民国家の成立と市場経済の誕生を統一的に理解できる。
 国家は安定した税収のため市場を形成させる。
 フランスにおいては国民国家こそが市場の大部分は国家が作り、それゆえ国家支配からの市場の開放を求められた。
 ドイツ・イタリアにおいては国民国家の不在の為に市場経済は国家の援助なしに形成されたため、市場の拡大保護のための国家支配を受け入れざるを得なかった。イギリスは両者の中間だった。富の学はヨーロッパに政治的区分を超えた国際的な「文化」を生み出そうとし、自ら気付かないまま、帝国の記憶を復活させ、ヨーロッパに新しい絆を生み出そうとした。

経済イデオロギーの変容

 市場とは希少性の世界に対して、最適に資源を供給する単なる経済的メカニズムに還元する考えと、富の生産と分配という流通を調整する制度に還元する考えがあるが、著者はこの2つの考えは間違いだと指摘する。
 「市場」が概念はスミスに置いて、経済学的形態をとったが、スミスは経済を暗黙の内に政治を実現するものとしていた。同時代人もこれを理解し、「諸国民の富」の思想が取り上げられる時は、政治的次元においてであった。スミスを経済学の始祖に限定され出したのは19世紀中頃からだった。

 政治的自由主義→人権の確立→現実的自由主義→人権の擁護・拡大としての民主主義→市場社会の確立→ユートピア自由主義→社会状態としての民主議

 自由主義の曖昧さは上の二つを混同したことによる。
 経済的、現実的自由主義は二つとも無関係であり、それゆえしばしば矛盾する。

 ヘーゲル、見えざる手から理性の詭計へ

 ヘーゲルの哲学体系の中心的要素への影響を与えた思想家→ファーガソン、ヒューム、スチュアート、スミス

 ヘーゲルの独創性とは経済学を近代の新しい学問として理解したこと。
 
 ヘーゲルの考え          労働はヘーゲルが社会の発展を理解するための中心的概念になる
 主体と客体の統合の場              ↑        
 精神と自然の融和の場   =   労働の世界と欲求の体系
 特殊が普遍へと至る場              ↓
                      「存在の普遍的な物理的相互依存の体系」としてヘーゲルは理解した。

 スミスの「国民」の概念を受け継いだものとして、「個人の労働によって、また全ての人々の労働力と欲求の満足とによって、欲求を媒介し、個人を満足させること」とヘーゲルは市民社会を歴史的に理解した。
 そしてマルクスはこの市民概念を強引に手直ししていく。
 諸国間の闘争に対する対策

マキャベリ諸国間の闘争に対する対策
スミス否定利益の自然的一致原則を諸国間の関係に普遍化する
ホッブス暴力を自然状態の中に抑圧することによって
ヘーゲル受け入れる紛争や暴力を禁止するのでは無く、これらを使用する必然性に思いをめぐらせた

 マルクス自由主義の回帰

 マルクスはスミス的側面からヘーゲルを批判し、スミスの哲学的形成、ヘーゲルの経済学的形成の両方を見過ごしてしまう。
 マルクスの全著作を貫くものとして、政治的なものの消滅と人権批判、つまりユートピア自由主義の中心的命題がある。

 資本主義、社会主義、経済イデオロギー

 自由主義は19世紀を特徴付けるとされるが、イギリスだけを例外として、大半の国は保護貿易だった。
 資本主義は社会的実践の結果に過ぎず、実際は資本家階級が経済の主導権をにぎる社会形態であり、この階級の行動原理は「自己の利益」だった。
 経済学の変化として、ワルラスが自らの扱う領域を縮小させていき古典派経済学との決別をした。

 19世紀には、経済学はグローバルで統一的な近代的世界の学問として姿を見せることをやめてしまう。リスト、シスモンディ、ワルラスによって経済学は再び従属的地位になってしまう。
 「市場」はもう社会関係の総体を理解するための出発点となる中心概念ではない。
 これを踏まえて、経済学の歴史の2つの断絶の理解の仕方
18世紀  政治算術から富の学への移行。経済学は、政治と哲学を実現するものとして理解される
19世紀  古典派経済学のもろもろの野望を捨てることによって、現実と自由主義的な考え方との間の距離を乗り越えようとする意思を表すもの。

 スミスの後継者としては、19世紀の全ての経済学者は先入観(スミスの経済学的側面しか見てない)を持って読むので不適当であり、むしろ19世紀の社会主義者達、ゴドウィン、プルートン、フーリエバクーニン、サン=シモン、マルクスの方が後継者としてふさわしい。
 生産者の国際主義、階級的利益の絆、労働と産業の称揚、国家の消滅、人間の統治から物の支配への移行などといった18世紀の経済的イデオロギーの主要テーマの全てが、19世紀の社会主義思想の中に移植されている。
 
 ホッブス、ロックは市民社会を政治社会として考えていて、その時点ではまだ、社会は「社会契約」という政治哲学上の理論の中で考えられていた。また彼らの答えは、人間の情念と社会の問題に対する答えとして、不十分であり、市民社会を経済的に捉える見方がスミスによって登場し、社会を「契約」ではなく「市場」を通して見たスミスによって、政治哲学上のテーマは経済イデオロギーによって解決した。
 すみすは経済問題を考える為に、経済を考えたわけでは無く、市民社会の発展を捉える為にいわゆる経済学者になった