明け方ごろの読書日記

ほぼ読んだ本の備忘録にしています。たまに映画や身辺雑記的ことも書いています。2014年2月から3月までの記事は、2009年頃から2014年3月までに読んだ本を時系列無視で一気にアップしたものです。

『歴史的類比の思想―田川建三評論集』田川 建三著

目次
1.原始キリスト教とアフリカ
2.ウィリヤム
3.ウェーバーと現代
4.『マチウ書試論』論

歴史的想像力とは、歴史的類比をとらえる力である。類似の歴史的状況をよくとらえることから、類比により資料の背景につき進むことである。この類比をどのようになしうるかにその歴史家がおのれの生きている世界の歴史的社会的構造をどこまでとらえているかがおのずと反映する  p7


1.原始キリスト教とアフリカ
 アフリカにおける原始キリスト教の発展と帝国主義イデオロギー的な侵略性を比較して論じる。正直執筆されたのが数十年前ということもあり、いまいちピンとこなかった。

2.ウィリヤム
 「1.原始キリスト教とアフリカ」に引き継き、今度はアフリカにおける植民地支配の後遺症を語る。非常に舌鋒鋭くというか、鋭い指摘があり引き込まれた。印象に残ったところを引用する。

 

植民地支配の悲劇は、当のアフリカ人がおのれの同胞に対して、白人がアフリカ人に対するよりももっとむごたらしい虐殺を行うようにしむけてしまう、というところにある。しいたげられた者は、しいたげた方の残忍さを学んでしまう。自分よりもさらに弱いものに対して直ちにその残忍さを転化する。植民地支配者、抑圧者は抑圧と搾取の社会構造の大枠の維持に勤めればすむ。一人一人を現場で具体的になぐりつけることは、自分でやる必要はない。被支配者の中からその役割にあたる者を選び出し、同胞に対して残虐行為をふるうようにしむければよい。かくして植民地支配者は冷房のきいた部屋に座って、こぎれいに人間性のやさしさを個人の水準では保ちつづけることができる。抑圧の現場の作業員は残虐さをおのれの人間性に深くきざみこむ。抑圧の悲劇は抑圧の行為そのものに終わるのではない。抑圧するものは、抑圧しているくせに抑圧の残忍さを身につけることもなく、清く美しく生きられるのに、抑圧されているものの方が、かえって抑圧者の持つべき残忍さの性格までも、おのれの性格として背負い込んでしまうところにある。そして、おのれがもはや抑圧される位置にいなくなっても、身にしみついた抑圧者の残忍さは、持続する性格となって残る。抑圧から政治的に「解放」されても、その体質が残りつづけ、今度は同胞どうしで、より強い者がより弱い者を抑圧するようになる。外側からの抑圧の構造が、内側の構造に転化される。p87-88<< 


3、ウェーバーと現代
 ウェーバーの受容のされ方を通して日本的知識人の実態を分析する。ウェーバーに対して牽強付会な解釈をしているという大塚久雄批判が非常に面白かった。

4.『マチウ書試論』論
 先日死去された吉本隆明氏の『マチウ書試論』を論じていたけど、そもそも『マチウ書試論』を読んでいないのでよく分からなかった。