『無血戦争』 ピーター・P. パーラ著
- 作者: ピーター・P.パーラ,Peter P. Perla,井川宏
- 出版社/メーカー: ホビージャパン
- 発売日: 1993/12
- メディア: 単行本
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ウォーゲームは過程を研究する場に最もよく効果を発揮する為、大きく変化する状況の下での実施できる行動や原則や制約をよりよく理解することが出来るため、軍事担当者達にとって非常に魅力的に感じるところがあるのだろう。原始的な盤上遊戯がドイツ参謀本部が使用したことで有名なクリークスシュピールに至り、アメリカ軍によって現代的な机上演習に結実するまでが丁寧に描かれている。正直この分野でここまで詳しい本って他にないのではないだろうか。
机上演習は様々な戦略を編み出されることに貢献し、例えばアメリカ海軍での机上演習は海軍大学で教官や学生によって使用され、一つの考えが取り除かれることにまでになった。その考えとは
「海戦とは、艦隊同士の型通りの劇的な衝突によって定義されるもので、海軍戦略は敵との決戦を求めて自国の艦隊を機動させることである」
という考えだ。WWⅡでの太平洋方面での米海軍のドクトリンはこの考えを下敷きにしており、「日本軍の行動はカミカゼ以外は全て予想していた」と豪語される程の結果を出すまでに至った。
また日本のウォーゲーミングにも少し触れられていて、個人的に興味深かったのは、ミッドウェイの机上演習の時の有名な宇垣の強引なサイコロの目の修正についての著者の見解。引用してみる。
アメリカの陸上基地爆撃機の効果についてのアンパイアの判定に対する宇垣の変更は、必ずしも認識不足に基づく傲慢によるものではなかった。実際の戦闘においては、B-17は、二度以上にわたって日本部隊を攻撃したが、一発も命中弾を得られなかったのである!日本のアンパイアは、ミッドウェイの戦闘の推移と結果を正しく予想はしていたが、あまりにも楽観的なゲームの統裁官によって覆されたのであるという作り話は、打ち砕かれるべきである。
数回のさいころの目を無視すること、または変更することが、ミッドウェイにおける、日本のウォーゲーミングを失敗に導いたわけでは無く、プレイによって提起された問題及び問題点を無視したことが失敗を引き起こした。
まぁ、硬直した旧海軍では問題が洗い出せても柔軟な対応は望むべくもないか・・・。
民間のウォーゲームの発展、アヴァロンヒル社や『戦争のテクノロジー』の著書であるダニガンの活躍など、俺得な話が目白押しで面白かった。
純粋なゲームとしてのウォーゲームの発展史が綴られている部分は、佐藤大輔の『主砲射撃準備よし!』を思い出した。っていうか、佐藤御大の本を読んでこの本を読むとニヤニヤすること請け合いだと思う。御大に与えるダニガンの影響って絶大だな(笑)