明け方ごろの読書日記

ほぼ読んだ本の備忘録にしています。たまに映画や身辺雑記的ことも書いています。2014年2月から3月までの記事は、2009年頃から2014年3月までに読んだ本を時系列無視で一気にアップしたものです。

『兵隊たちの陸軍史 (新潮文庫)』 伊藤 桂一著

兵隊たちの陸軍史 (新潮文庫)

兵隊たちの陸軍史 (新潮文庫)

大西巨人著『神聖喜劇』の副読本として読んだ。題名通り、兵隊達つまり徴兵された一般の国民からみた日本陸軍のコンパクトな解説書として、非常によく出来た本だと思った。
 
 あと読んでいて衝撃的な記述を発見したので抜粋してみる
 

<戦車の鬼門------沖中出穂中尉>
戦車------とみると、沖中出穂少尉(当時)の目は輝いてくる。敵戦車が次第に近づくと、会心の微笑が頬にのぼる。さてゆったりと機銃をとりあげる。じっと狙いをつける。ちょうど猫が鼠を狙うようである。実際沖中出穂少尉の前へ出ると、大概の戦車は動かなくなってしまうのだった。何故か?沖中少尉は戦車の機関部の急所を狙って撃つ。ただ一点であるが、その急所を撃たれると、戦車は動かなくなってしまうのである。それがまたふしぎに命中するのである。この独特な技能と熟練とをもって、少尉は何十台の敵戦車を各坐させたかわからない。P198

ってゴルゴかよ!!
しかも対戦車狙撃銃でもなく機関銃で狙い撃ちって・・・
この話って、ホントなのかなぁ?
 それと随分前に読んだ『歴史群像』2005年8月号のインタビュー記事で、小西重治郎さんという陸軍戦闘機乗りで北辰一刀流宗家の跡取り(!!)の方が軽機関銃の撃ち方を説明する時に、「指先の動きは闇夜に霜が落ちるがごとく、本当に微かなものでなければなりません」と話しておられ、さすがこんな剣豪ともなると表現一つとっても違うなって思っていたら、当時の初年兵係などが普通によく使う表現だったと知って(p87)ビックリ。南国育ちの兵隊にはどうやって教育していたんだろう(笑)

 日本陸軍や主に中国大陸での戦闘を当事者がどう捉えていたのかが、戦後生まれで軍隊とは縁の無い人間にも読みやすい文章で綴られていて、日本陸軍や徴兵された人がどのように軍隊生活を送ったのかを知りたいと思った人がまず手に取るべき本だと思う。
 特に文章については、戦後生まれの若手が書いたのか?って思えるほど若い記述で、扱っている題材が題材でもすんなりと理解できる。

 著者は私的制裁のことを、正規の訓練では鍛えきれない根性であるとか適応力を鍛えるための必要悪だという風に捉えていたが、それって正規の訓練が訓練としての完成度が低いって事じゃないのか?と疑問に思った。
 大体、新兵訓練って戦場に適応させるためのものであって、訓練のための訓練では意味が無いのに・・・
 そのクセ軍は公式には私的制裁禁止を謳っていて、あくまで私的制裁は制裁を行った個人の問題であると私的制裁という問題を個人間の問題に矮小化した挙句、責任まで個人に押し付けたようにしか私には思えない。問題の本質は実戦的な訓練プログラムを組めない軍にあるだろうに・・