明け方ごろの読書日記

ほぼ読んだ本の備忘録にしています。たまに映画や身辺雑記的ことも書いています。2014年2月から3月までの記事は、2009年頃から2014年3月までに読んだ本を時系列無視で一気にアップしたものです。

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  冷戦が終わる前後の東ドイツのある親子を描いたヒューマンドラマ。

 あらすじを読んだ限りでは、もっと吉本新喜劇みたいな笑いあり涙ありな展開を想像していたのですが、ちょっと違って全体的に哀愁を感じさせる映画でした。

 ある日、病気で倒れてしまった主人公の母。
 主人公は母親の看病のため病院の見舞いを欠かさずに行きますが、時は冷戦末期、ベルリンの壁が崩壊して東ドイツが消滅してしまうことに。
 奇跡的に目を覚まします母に主人公は喜びますが、再びショックを受けてしまうと命の保障はできないと医師から宣告されます。

 母がショックを受けないようにに、ベルリンの壁が崩壊して資本主義の波に飲まれていく元東ドイツの生活を懸命に繕っていく主人公の姿にはクスリと笑いつつ、母親を思う気持ちにホロリときてしまいます。

 亡くなってしまった祖国への複雑な感情を持つ東ドイツ市民の姿とか、あまりなじみの無い東ドイツの生活などが、描かれていて興味深いです。

『心理戦争』パウル・ラインバーガ著 続き

今回は抜粋を少し。

『心理戦争』
「」内はほぼ引用文

 掲載ページ数不明。

「心理戦争の勝利は、それが援護することを予想されている軍事的勝利にのみ存在する。心理戦争の敗北は批評家や敵宣伝者が敗北だと言ったとしても、それは実戦の敗北がそれを現実化して初めて証明される。心理戦争の計画は常に軍事作戦の援助のための臨機の計画である。それは軍事作戦に依存し、それが表面上支援している軍事作戦の面を除いては事実に印して点検するというわけにはゆかない。不幸なことに、その計画は常にこれらの留保を心にとどめて起草しなくてはならない」

 「諸計画と企画」 P.205

「白色宣伝または公然宣伝とは確認された出所、通例政府または政府の一機関より発せられる」

「黒色宣伝または隠密宣伝とは真実の出所以外の表面上の出所を有し、通例攻撃の対象となる地域の国内法では非合法的な言動をなすものである」

「ラジオなどの宣伝の際の話者は、その外国訛りを隠す努力をしないほうがよい。敵国語を完璧に話す人間に関しては常に「一体、奴等はあそこで何をしているんだろう」という疑念がつきまとう。裏切り者は公然たる敵方の代弁者よりも人に訴える力が少なく、裏切り者がそもそも敵方に通ぜしめるためには、センセーショナルなまでに優秀でなければならない。」

 心理戦争担当者の資格について 掲載ページ数不明。

「有効な心理戦争担当者には、次の5つの技能が一個人に結合されていることを要する

1 自国の政府の運営や政策に関し効果的かつ生きた知識を持ち、政府の目的や企画を的確に把握しうること

2 正確な陸海軍の手法に関する効果的な知識、併せて宣伝文句を軍事情勢や実際の宣伝活動に接合する形に調整するに必要なだけの陸海軍の戦術の理解を持っていること

3 情報手段、少なくともその一つ(出版、雑誌、新聞、ラジオなど)またはこれと密接に関係した分野(実際政治活動、視覚教育、成人教育など)に関する専門的な知識

4 ある地域に関してその言語、伝統、歴史、実際政治、慣習に関する生の知識に基づく特定地域に関する詳しい専門的な理解

これらに加え当人を完全なものにする第五番目の技能が考えられる

5 心理学、人類学、社会学、歴史、政治学または類似の分野に関する専門的・科学的理解

自分はこの五つの資格を全部有していると立ち上がって言えるものは嘘つきか天才か両方かである。しかし、資格は重要である。
各心理作戦班はこれら諸技量をつきあわせたものである。ある班員はまず2、3の技量を持っており、他の者は事実上ぜんぜんこれらの技量を持っていない。しかしそれら班員はすべて特に専門化した任務(暗号係、兵器専門家等)を除けば、これらの技量をつき交ぜた専門家裸足になる。
専門的な標準に達しないかもしれないが、すでにこれらの一つまたはそれ以上の物と付き合ってきており、各技能の基本原理を会得し、少なくとも自分の知っていることと知らないことが判るようになっているのである」


 以下、他のページから。

 「時期を得ることの必要」掲載ページ数不明。
「宣伝は新聞のようなものであり、無限であるか全然新しいものでなければならない。その中間では何らの価値はない」

 「敵国の世論分析」掲載ページ数不明。
「世論分析が有効であるためには体系的でなけらばならない。敵国から逃れてきた避難民は、色々と自分達が見てきたことを嬉々と話す。
だが、彼らの見解は無価値である。
一般に敵が何を考えているかは、味方の軍隊がすでに敵の周辺に入らない限り無価値である。内報者が敵はこう考えていると言うのはもっと価値がない。
あなたは何を今考えていますか?
あなたは何を考えていると思いますか?
という質問と同様である。

実際的であるためには、それは特定的なものでなくてはならない。
あなたは新しい洋服の値段をどう思いますか?
あなたは現在の俸給に満足ですか?等
ある人が考えること、すなわち彼の見解は彼が現実に行うことと関係して初めて有効である。現実の生活においては彼の見解は、それがある集団の見解の一部であるときにのみ効果を発する」

 2011.5.8追加
 「日本の状況」p121(日本の心理戦争への評価)。

「日本人は心理戦争において新しいものを生み出すことは少なかった。彼らは米国内の相手に対しすばらしくかつ公正にニュースを使用した。彼らは実際、米国の諸都市に事務所を持っていた平時よりも、戦時において却て遙かに多くの日本の公式のニュースを米国紙に乗せることができた。彼らは新聞社のためすでに編集済みの米国新聞用の英語モールス電報による定期の同盟通信のサーヴィスを維持する方法によった。日本人はニュースに署名入りで、特に米国紙に対し、「東部戦時時間午前九時までどうぞお待ちください。有難う。同盟」と言ったとさえ伝えられている。アジアの民衆に対しては、日本の特務機関が破壊的活動とともに多くの「黒色」宣伝を行ったが、基本的技術の使用については創意を発揮することが少なかった。彼らの主な長所は勤勉、忍耐、第一級のニュース提供であった。」

『心理戦争』パウル・ラインバーガ著

 「人類補完機構」シリーズの著者であるコードウェイナー・スミスが本名のパウル・ラインバーガで書いた本書。旧漢字が使われていて、読んでいても旧漢字の判読に手間取って、なかなか内容が頭に入ってこなくて閉口した。自分なりに後で読み返してみるために、序盤を少しまとめて、気になった所を抜粋してメモ代わりにアップする。


『心理戦争』

目次



第一部 心理戦争の意義と歴史

1 心理戦争の先例
2 心理戦争の機能
3 心理戦争の定義
4 心理戦争の制約
5 第一次大戦中の心理戦争
6 第二次大戦中の心理戦争

第二部 現代の心理戦争 分析・諜報・情勢判断

7 宣伝の分析
8 宣伝諜報
9 情勢判断

第三部 現代の心理戦争 企画と実施

10 心理戦争のための組織
11 諸計画と企画
12 対非戦闘員活動
13 対戦闘員活動
14 心理戦争への準備と心理的武装解除


 本書は研究室で書物による研究の結果ではなく、現場での筆者自身や同僚達の経験や理念、理論を纏めたものであると宣言している。

1 心理戦争の先例
 心理戦争は戦争の以前に、戦争の最中に、また戦争の後に戦われる。それは敵対する心理作戦の担当者に対して戦われるものではない。
 それは戦争の法則や慣例や慣習によって律せられるものではなく、またそれは地形や戦闘配置または名の付いた戦役で定義することもできない。それは連続した一連の経過である。その正否は作戦実施後数ヶ月または数年を経て明らかとなる。
 もっとも成功した場合、その成功は計り知れない莫大なものである。その失敗たるや不可測とはいえ、致命的である。
 心理戦争はありふれた戦争の諸概念には直に適合はしない。
 兵学の正確さと明確さとは組織的な合法的暴力行使というきわめて明確な問題に追うところが多い。
 戦争の開始や中立国の承認、敵国の決定、和平宣言などの問題は政治問題と見なされ、軍人の責任の埒外とされる。戦争に至らない力の行使の際おいても軍人はより高次の(すなわち政治的な)権限によって軍事活動の範囲を限定され、合法的かつ正当な命令によって敵が限定された場合によってのみ先へ進みうるのである。
 心理戦争という一分野でだけは正にその活動の性格において果てしない不確実さが横たわっている。
 心理戦争は正にその手段及び使命の性格から宣戦のずっと前から開始される。
 心理戦争はまた表面的な敵対行為が終息した後でも続く。敵は度々、心理戦争においてはその姿を明瞭にせず、 大抵は祖国とか神・教会・友好的な新聞の声に偽装している。
 攻撃的には心理作戦担当者は敵国の聞き手という決して返答をしてくれない敵手と戦わねばならない。
 彼はまた明々白々たる唯一の敵たる的の心理作戦担当者と戦うことはできない。何となれば敵の心理作戦担当者は極端に攻撃に対して敏感であるからである。
 成功・失敗ともに可測の要素ではない。心理戦術は夢魔と紙一重のところで企画される。

 この後、心理戦争の理解のために戦史を例にとって解説していく。旧約聖書のギデオンや三国志南北戦争まで幅広く取り上げている。
その例の中で、筆者は二つの初期の軍事宣伝の型を示す。

 一つの型は宣伝担当者は物事を相手の立場から見ていることと、相手の福祉に対して適切な関心を持っているという素振りは共鳴の絆を作り出すことが出来る。これは当時の戦場ビラの標準から見ても妥当な手法である。

 もう一つの型は政治的な弾劾で、これが戦争初期に発せられると、その後はどちらか一方の法的かつ倫理的な根拠となる。
その手法は


1、特定の敵の指定
2、敵陣内の「よりよき人々」への訴え
3、大衆への同情
4、正当政府に対する支持の主張
5、自己の強力さと軒昂たる士気の確認
6、統一の希求
7、宗教への訴え
の7点を結合することで達成された

 この種の先例は各国の歴史に多く存在し、それが意識的に軍事作戦に付随して行われるとすれば、それは軍事的宣伝と呼ぶに値する。

 2 心理戦争の機能

 心理戦争とは広義においては心理学の戦争遂行への適用であり、狭義においては対敵宣伝やその他の宣伝を補完するような軍事作戦処置の利用である。

 戦争というものは「敵」に行われるものではなく敵の「精神」に対して戦われる。クラウゼヴィッツが「戦争は政治の延長である」というように、戦争とは暴力的な形態を持つ一種の説得である。

 心理作戦を遂行するに当たって心理学は重要な学問である。心理学は天才ではない担当者に対してその説得を組織的に計画するための知見を与えることが出来る。
具体的には3点ある。

 一つ目は、普段は見過ごされている人間の心的要素に担当者の注意を喚起する。 

 ある感情を別の感情に変える方法を教授することが出来る


 二つ目は、敵が現実に感じていることを発見する技術を決定することが出来る。
敵の捕虜への質問から一定時における全敵陣営の心理状態を測定することが出来る。また敵内の世論と士気の要素を分析することで、敵が特定の状況の下でいかなる行動をとるかに対して合理的な予測が出来る

 三つ目は、担当者に対してその使命感や任務を達成するための冷静さを維持できるよう助言を与えることである

 軍人の場合、敵を憎むことはかまわないが心理作戦を遂行するためには、そういった感情を捨てる必要がある

 宣伝の最も恐るべき危険は、それが宣伝担当者自身の啓蒙のためにされることにある。この無意味な慰みは完全に失敗した宣伝をも、宣伝として誤魔化すことが出来る。
 宣伝戦において、敵の主張に反論することは楽しいことであり、特に戦時においては敵の弱点を嘲笑したりしがちであるが逆効果である。宣伝担当者は敵が耳を傾けるようなことを敵にいわなければならない。

 宣伝は第六感によって巧みに行うことは出来るが、それが可能なのは天才だけである。
 それはその目的を明確に設定し、使命を確立し、手段を組織的に準備し、その実施を少なくとも部分的に監督することによって科学的な手法をとった時のみ、教授不能な技術として展開された真の心理作戦となることが出来るのである。

 心理戦争は多くの科学に関係し、その他の戦争の機能と重複するが、それ自体三つの問題に分けられる分野を形成している。一般的心理戦の計画、外国の心理戦の発見、分析及び心理戦の戦略的すなわち直接的実施の三つである。

 いずれの場合においても心理戦は私的に実施する活動ではなく、心理戦を仕掛ける対象の日常生活と闘争の一部でなければならない。

 3 心理戦争の定義
「心理戦争は軍事力を持たずして軍事的勝利を勝ちうることを求めるものである」

「心理戦争は今や普通のこととなった。心理戦の将来の問題はこれを適用するや否やではなく、如何にしてこれをより巧みに適用するかである。従って、それが何であるかを見出そうとするとする目的よりも、それを便利にし、かつ実施可能にする目的からこれを定義すべきである。全世界は第一、第二次大戦において実証によってそれを発見したのである」

 辞書には心理戦争は本当の心理戦争としての定義は掲載されてない。筆者の定義によれば「心理戦争」、「軍事的宣伝」を定義するには三つの方法がある。

1、一定の情勢、著書、会話または研究過程において我々の意味するところを決定する。
 この定義の方法は調査の目的を満足させる。それは政治的、軍事的情勢を理解しやすくするために役立つかもしれない。

2、一定任務に関連する責任及び権威を決定する。
  この機構的な方法はそれで定義を与えることの出来るような組織が存在するときに使用できる。

3、指定された手段を持って達成可能と信じられる結果を述べる。
 この機能主義的、歴史的な方法は行動の起こった後に情勢を評価するのに有効である。

 <広義及び狭義の宣伝>
 「宣伝とはある特定の目的のために、特定集団の精神、感情及び行為を左右するように仕組まれた、あらゆる形式の伝達の計画的使用である」

 この定義では私的、非政治的な目的の遂行のための宣伝形式を含んでいるため広すぎるので、定義を狭くして次のようにする。

「宣伝とは、軍事的たると経済的、政治的たるとを問わず、ある特定の公の目的のために特定集団の精神及び感情を左右するように仕組まれたあらゆる形式の伝達の計画的使用である」

 これは教科書的な定義といえるが、軍事作戦に利用するために次のように定義する。

「軍事宣伝とは特定の戦略的または戦術的目的のために特定の敵性、中立または有効的な外国の集団の精神及び感情を左右するように仕組まれたあらゆる形式の伝達の計画的使用である」

 伝達が計画的に行われない場合は宣伝とは呼べないことに注意が必要である。さらに宣伝は一定の明確な目的を持たなければならない。
 戦時、平時問わず、多くの通信は聴き手に及ぼす影響より発信者の満足のために行われる。
「心理戦争」は次の定義のように単に宣伝の戦争目的への適用と見なす場合には容易に理解できる。

「「心理戦争は」対敵宣伝と宣伝を補完するに必要な軍事的経済的または政治的性質その他の実施措置の使用を含む」

 これは第二次大戦中アメリカが「心理戦争」の理論として理解した内容である。

 もう一つの心理戦争、言い換えれば「心理的に戦われた戦争」という意味がある。これはドイツが欧州制覇の際に知らしめたが、これは心理学的な手法というよりも、政治学的な背景によるところが大きく、ドイツのような独裁国家でなければ行うことが出来ないと考えられる。

<宣伝ー諸定義>
 宣伝の分野に使用されるその他の専門的な術語の区別がある。作戦用語においては五つの要素を考慮することによって宣伝は区別される。


1、出所(手段を含む)  Source
2、時期          Time
3、対象(聴取者)     Audience
4、主題            Theme
5、目的            Mission


 これらは分析家にとって重要性の順にかかげられており、宣伝分析にとって格好の道具を提供してくれる。最後の要素の「目的」はその宣伝を行うことによって得られるであろう仮想的な効果を言う。頭文字をとってSTATMと憶えればよい。

 これら五つを解説する。

 「出所」は最も重要である。もし出所が公開かつ確認されたものである場合は、それを発表する政府はその宣伝を世界の前に公式に発表しているのであり、従ってある程度の威厳と将来に対する考慮をした後に宣伝を発すべきである。
 もし出所が虚偽である場合には、その政府なり軍隊なりがその偽造が成功していること、その宣伝が容易に馬脚を現すことのないことを確かめることが重要である。
 二つの全く異なった方法が用いられている。
 公然たる出所には責任ある官公吏、望むらくは政府の名義と施設との使用によって、最善の効果を上げうるような国際的名声を博している人々が必要である。公然たる出所の使用は通例(いつもとは限らない)その資料の真実性をその伝搬者が信じていることを暗に意味する。
 捏造出所には不正な想像力、即興偽造及び一般的な悪戯に長じ、かてて加えて厳格な規律と機密保持の念を持った人々が必要である。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%90%86%E6%88%A6
wiki 心理戦

 

『 新世紀読書大全 書評1990-2010 』柳下 毅一郎著

 

新世紀読書大全 書評1990-2010

新世紀読書大全 書評1990-2010

 

 殺人鬼とかそういうのがお好きな人向き。僕はそういうものにあまり興味がないので、あまり面白さを感じなかった。

『 シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説』 ローラ ヒレンブランド 著

 

シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説

シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説

 

 思った通り大変な傑作だ。1930年代のアメリカの競馬界がどのようなものか余すところなく伝えてくれる。読むまでハルウララ的な、勝てない馬でも頑張ってるんです周りの人たちも良い人ばかりですハートがウォーミングですねっていう話を想像していたが全く違っていた

『 Q&Aで学ぶ失敗事例 積算の落とし穴 』日経BP社

 

Q&Aで学ぶ失敗事例 積算の落とし穴

Q&Aで学ぶ失敗事例 積算の落とし穴

 

 発注者側の勉強本。発注者側がどのようなポイントに気を使っているのかはわかるけど、受注側としては直接受注につながるような勉強にはあまりならなかった。安い本ではなかったので、残念。

『 小室直樹の学問と思想』 橋爪 大三郎著

 

小室直樹の学問と思想

小室直樹の学問と思想

 

 

二人の師を思う気持ちがほとばしりまくる本だった。内容も興味深く、とかく学会の鬼っ子扱いされがちな小室直樹氏の業績を分かりやすく伝えてくれる。 ただ師への敬愛が盲目の域にまで達している部分もある

 具体的に書くとロッキード裁判の時の田中角栄擁護の部分。余りにも小室氏を持ち上げすぎて、明確な事実を捻じ曲げている。小室氏の田中角栄擁護の論理もく だらないものだったが、どうも小室氏を師と仰ぐ人たちはこの点に関してデタラメをまき散らすか黙殺する人にわかれる場合がある。副島氏はどうも前者、橋爪 氏は後者か。