明け方ごろの読書日記

ほぼ読んだ本の備忘録にしています。たまに映画や身辺雑記的ことも書いています。2014年2月から3月までの記事は、2009年頃から2014年3月までに読んだ本を時系列無視で一気にアップしたものです。

『環境政策論』岡敏弘著

環境政策論 (岩波テキストブックス)

環境政策論 (岩波テキストブックス)

この本を読んだ理由は、最近の放射能へのヒステリックな反応、例えば自然放射能を無視したような放射能除染を目標としたり、放射能汚染とは無関係のガレキ処分に対するノイジー・マイノリティの反対など絶対的安全を求めることと、そのためのコストとのバランスをどのように考えることへの学問的アプローチがあれば知りたいと思い手に取ってみた。
 同じようなテーマを扱った本に中西準子さんの『環境リスク論―技術論からみた政策提言』は学生時代に読んでいたが、久しぶりにリスク論に関する本を読んでみると、当時とはまた違った感想を持って面白かった。
 
 放射能とかダイオキシンとか、これらの騒動になんらかの冴えたやり方はないものだろうか?
 万人とは言わないけど、多くの人が納得できる方法はないのかな?
 最近僕が考えていた、こんな疑問に本書は以下のように諭してくれた。
 

自然科学が環境問題を完全に解明できるなら、とりたてて環境政策の学が求められることはないであろう。それが必要なのは、自然科学による環境問題の解明が完全ではなく、不確実性が存在する下で、なおかつ、何らかの政策による解決を求めていかなければならないからではなかろうか。
 もともと環境問題は人々の間の利害の対立を含んでいる。不確実性の存在は、人々の環境問題についての認識の違いを生み、それが解決の方向についての意見の違いを生む。そうした意見の違いが利害の対立と絡み合って、これを増幅する。そうだからこそ、そうした意見の違い、利害の違いを調整する手法が必要になり、そこに、純粋の自然科学にはない、独自の視点と分析手法とをもった学問の果たす役割があるのである。 P.1

 著者はこうした問題意識の下、明確な科学的判断が出来ない不確実な状況下の下でなんらかの政策を実行しなくてはならない場合、安全と危険との間にある曖昧模糊とした領域を操作可能な形で表現する手法としての「リスク論」を説明していく。
 
 この本を読んでも明快な解答を得られることは無い。本書で中心的に解説される「費用便益分析」という分析ツールも、何世代にわたる影響を持つ事業には使えないとされているし、効率性と福祉との間で対立することも多く万能の分析ツールとは言い難い。でも冷静に考えていくことへの重要性は分かるし、色々な考え方があることを知ることで、極端に流れることの戒めになることだろう。

 ところで、反原発派は「命と経済どちらが大事だ」と言ってくる。そんなの決まっている、両方大事に決まっているじゃないかっ。なんでどっちかを選ばなくてはならない?
 「命と金」どっちかを選べって、山賊かよ(怒)