明け方ごろの読書日記

ほぼ読んだ本の備忘録にしています。たまに映画や身辺雑記的ことも書いています。2014年2月から3月までの記事は、2009年頃から2014年3月までに読んだ本を時系列無視で一気にアップしたものです。

『民族とネイション―ナショナリズムという難問』塩川 伸明著

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

まとめと感想

 「民族」「エスニシティ」「国民国家」「ネイション」「ナショナリズム」等の言葉は、非常に異なった事柄でありながら、何がしかの共通性や関連性を持っているように思われる。
 それゆえ、しばしば関連付けて論じられているのではないかと思われる。そこには単一の共通する本質があるのではないだろうか、というのが本書の観点である。
 この観点から、上記の事柄の相互関係を解きほぐし、それらを理論と歴史の両面にわたって考えることを目指す。

 相互関係が複雑なのは 
人々の日常生活における、感情・意識・情動(民族主義的感情)
         ↑
         ↓
 狭義の政治、とりわけ国家の形成や分裂など(打算に基づく合理的選択の対象)

 上の場面に置いて、ハイ・ポリティクスに関われる政治エリートと広範な大衆の観点が交錯するから。


目次
1.概念と用語法---一つの整理の試み
2.「国民国家」の登場
3.民族自決論とその帰結---世界戦争の衝撃の中で---
4.冷戦後の世界
5.難問としてナショナリズム

1.概念と用語法---一つの整理の試み
多面的な対象である民族エスニシティ問題をどのように捉え、また用語を定義するか?

エスニシティ・・・・「国家」をとりあえず向こうにやって、血縁などを基礎にした、客観的には固定的な存在ではないが主観的には確たる存在とみなされるような、集団としての特性を持つ。

民族・・・・・・・・・・エスニシティを基盤とし、その「我々」が一つの国ないし、殉じる政治単位を持つべきという意識に達した時、「民族」と呼ばれる。

             国民≠「エスニシティ」「民族」

 ・人間集団の区切り方は、抽象的に考えれば、様々な括り方が可能であり、一つだけを「正しい」と決めることは出来ない。民族とは「作られるもの」であり、近代社会固有の新しい現象だ、というのが大まかなコンセンサス。
 「民族」の単位は、短期的には変わりにくいが、長期的には変化しうる。だからといって、どういう風にでも自在に変化するということでは無く、歴史的に形成された諸条件の中で、それらに制約されながら、変化したり固定化されたりする。

2.「国民国家」の登場
国民国家の形成には、長期的な社会変化(アンダーソンの言う「出版資本主義」)と短期的な政治変動ね異教が重なり合って作用している。
 これらが、狭い居住範囲を超えた広い範囲でのコミュニケーションを発達させたという事情がある。そして、そうしたコミュニケーションが特定の言語によってなされることにより、その言語を共有する人たちの間で、ある種の一体感が形成されるようになった。

3.民族自決論とその帰結---世界戦争の衝撃の中で---
 ウェストファリア条約に置いて、国際社会体系は諸国家の主権尊重、内政不干渉を大きな原則としていたため、他国の内部の分離独立運動を外から支援することは内政干渉として排斥されていた。
 民族自決論はスローガンとされて広がっていいったが、大国家の小国家への分裂が多発する問いう自体は大半の人々にとって予期されていなかった。
 WW1とその戦後処理において、総力戦の影響によるナショナリズムの高揚のためそれまで安定していた秩序の大規模な変更が起こった。

4.冷戦後の世界
グローバル化、ボーダレス化によって「国民国家」の意義は引き下げられる作用をもたらされた反面、反動によるナショナリズム再生の基盤が生まれつつある。exEUの「新右翼」と排外的ナショナリズム

・WW1,2後の処理に似て、冷戦後も同様に「戦争」が終わったことに伴う戦後処理という性格がある
・冷戦後に多民族国家の解体を経験したのは、どれも連邦制をとっていた国であり、しかも旧来の連邦政治において「共和国」という位置を与えられていた地域だけが独立国となった。

・全体的な流れとして20~21世紀初頭の現在において「民族自決」スローガンは「市場の正義」とはみなされなくなった。全ての「民族」に「自決」を求めるのは不可能であり、夥しい紛争を起こすことになりかねない。

5.難問としてナショナリズム
ナショナリズムの二分法~~~~シヴィックナショナリズムエスニックナショナリズム~~~~~
シヴィックナショナリズムの特徴→合理主義・啓蒙主義リベラリズム・民主主義
エスニックナショナリズムの特徴→非合理主義・ロマン主義・排他性
 
 ネイションの基礎にエスニックな共通性があるという考えが優位な国に置いては、一つのネイションの中のエスニックな異分子に対する排他的な政策や強引な同化政策がとられる。エスニックな一体性及びそのシンボルが価値を持つのは非合理な情念に基づくから、合理主義などは排斥される。
 しかし、シヴィックナショナリズムが好ましく、エスニックナショナリズムが好ましくないとすると、オリエンタリズム的発想の一種になりかねない。

感想
 塩川さんは大著『ソ連とは何だったか』をいずれ読む気なのだけど、その前に新書でどんな人か掴んでみるためにも本書を読んでみた。
 筆致は非常に冷静で、理論面と歴史面双方で非常に勉強になった。ナショナリズムをどう考えるかはなかなか難しい問題だけど、どんな問題でも冷静に考えることは重要だと思う。この本はナショナリズムを冷静に捉え、また考えていく為に非常に有益な本だと思った。

 よく宮台真司さんが、「連合国と枢軸陣営」というタームを使って、日本社会を分析しているけど、その元ネタが分かった。ルーマンの社会システム論なのかなぁって思ってたら違ってた。不覚。

 リベラリズムを基礎にしたナショナリズムリベラリズムナショナリズム)もありなんだなぁって、この本を読んでみて思った。なんか朝日とかが言うナショナリズムって、軍国日本のようなナショナリズムを言ってるんだろうけど、現代日本のナショナリズムって明らかに違うもんなぁ。
 なんにせよ、非常に面白い本だった。著者の他の本も読んでみようと思った。